このところ小著『認めるミドルが会社を変える』の話ばかりしていたのだけれど、今日は別の話題です。


 正田は、コーチングの他流派と「ご一緒」するのを嫌うので、「新興宗教みたい」と言われることもあります。


 ふだん社会の中の良識ある方々に支援していただいているにも関わらず、一方でこうした批判も浴びることに申し訳なく思ってきたのですが、


 他流派とご一緒することを嫌う背景には、こういうものがあります。


1)「エスリンでうまれたものと日本」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51344385.html


2)「続・エスリン研究所―実験と成功と失敗の歴史」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51344817.html


 正田が色々とコーチングの諸流派に足を運んで実際に学んでみた結果、
「たもとを分かちたい」と思った理由は、
1)にあるように、
それらの流派がこの「エスリン研究所」やそれに近い系統の心理学、
あるいは60年代的ヒッピー文化の中のワークショップ文化、
の流れを汲む匂いがしたからであります。


 著書には、そういったきなくさい話は書いておりません。

 ただ、私が「この人は正しい」と思った先達の方々について書いているだけであります。


 そして、じゃあ考え方が違っても「ご一緒」ぐらいしたっていいじゃないか、と思われるかと思いますが、


 それができない理由が2)であります。


 理性と感情の両方を重んじるマズローが自分のワークショップで話をすると、感情中心主義のフリッツ・パールズがマズローをあざけり、獣のように床を這いまわる。
 マズローは話を続けられなくなる。

・・・

 このエピソードは、端的に、「理性と感情」の流派の人と「感情中心」の流派の人が出会ったときに起こりがちなトラブルを表していまして、


 実は私自身も、これにちかい現象になんどか遭遇してきました。

 スマートで世間の規範を超越しているようにみえる「感情重視」の流派の方々は、些細なきっかけから不作法になり、「感情も理性も大事」「倫理も大事」という無骨な正田をあざけるようになります。


 …というのは、少し長くこのブログを読まれた方はお気づきでしょう。


 このエピソードに私自身をなぞらえることは、「私はマズローね」と言っているようなもので、面映ゆいのですが。


 これは、薬の飲み合わせ といいますか、異なる(とはいってもほんとうは差異はそれほど大きくなく、隣接するというか近親憎悪的なものです)流派が同席したときに起こりやすいトラブルです。


 実際にこれが起こり始めると、おさめるのはたやすいことではありません。


 …というのも、このブログを読まれた方はご覧になっていると思います。正田も、こういうライブの局面では何度もみっともなく「ヘタを打って」います。

 
 簡単に言えば、異種格闘技で禁じ手のないタイプの競技のほうが、禁じ手の多い競技より有利なのです。


 別に正田がみっともないのはそれほど問題ではないんですが、問題はそれが受講生様の不利益につながる、ということであります。


 「理性と感情の両方」を重んじる人をあざ笑う場に身を置き、そのマジョリティの空気に暴露すれば、当然その人たちはその後の人生において、にどと「理性と感情の両方」を重んじることなどできないでしょう。それは、大きな損失につながります。



 なので、事前にわかっていればできるだけ回避するのが一番。

 「ご一緒しない」のが一番なのであります。


私の考えでは、「頭だけでものを考える」ことに偏っている人に対しては「感情」の重要性を言うことは大事。
 MBA的な教育をどこかで受けてきて、論理一本やりの(そして周囲に対して説得力のない)話をする人には、とくに大事かもしれません。


 でも、「感情」が重要なのはあくまで「程度問題」であります。



 たとえば私たちの人間社会がいろいろ問題はありながらもそこそこきちんと運営されているのは、そこにルールがあり規範意識があり、また幼いころから「倫理」を教えられそれが「職業倫理」にもつながっているからで(マックス・ウェーバーですね)、

 それらは「感情」の側だけからロジックを組みあげていったのでは到底間に合わない深みのあるもので、「文化」そのものです。



 もし「感情」を過度に強調する教育をしてしまい、
 それが高学歴のもっともらしい(そして人格の良さそうな)インストラクターによって伝えられたために、
 受講生様が金科玉条としてしまい、
 それによって道を誤ってしまうなら、
 それは罪深い教育と言わねばならないでしょう。
 



 このブログでも何度も「感情だけを重視するのは危険」と警鐘を鳴らしていますし、そういった考え方の人がご覧になったら反発されるかもしれませんけれども、その方々は私のやる講座に参加することを断念していただいたら結構なのです。

 地域貢献のため料金設定を他より安くしているので、

「なんでもいいからコーチングの資格を手に入れたい」

という人が、本来「感情重視一辺倒」の考え方なのによく考えずに受講されるのを回避したい。


 また、基礎Aを受講されたあとの方々が、

 ―なにしろ「正田コーチング」は、わかりやすく実践しやすいのが売りなので―

 正田コーチングについて「わかった」つもりになり、勢いづいて他流派のコーチングにどんどん触れ、「感情重視一辺倒流派」にはまりこんでいくのも回避したい。


 残念ながら過去、そういうことが繰り返されてきました。

 どうやってそれをうまく回避できるのか、答えをご存知の方がいらしたらご教示いただきたいものです。


 とにかく、長く読まれている方は「またか」と思われるかもしれませんが、
「感情重視一辺倒流派」の方々は、ご遠慮願いたいものです。その方々はどのみち、「よい企業内コーチ」には、なれません。





 …関連で、これまで封印していたエピソード。


 数年前、あるキャリア論の大学の先生が、ある研修機関(仮に機関Aとしましょう)をしきりに推奨していました。


 私はその先生に手紙を書き、

「『機関A』を受講された方は私の知っている限り、高い確率で会社不適応を起こして会社を辞められています。

 そういう研修機関を推奨されることは、先生の社会的責任からみていかがなものでしょうか」


 決して「うちの団体」とお付き合いしてください、という趣旨ではなく、ただ「ご近所」だったので気になったのであります。


 その先生はそれ以降、「機関A」を推奨するのをやめられていました。


 そして昨年は「機関B」と提携し、年末に「機関C」の人と本を出し、そして今年度は「機関D」と提携されるようであります。


 なんとも忙しい。まあそれは本題ではないからいいんですけど、

(あと「機関D」は私も正しいと思いますけど、いつまでお付き合い続くんだか。。「機関D」の親玉がもし来日したら、セミナーに行こうっと^^v)

何が言いたかったのかというと、
 ある研修が「有益」か「有害」かは、素人の人には(たとえ大学の先生でも)わからないものだ、というお話であります。そうとう賢い人でないと。


 「賢い」というのは、「小利口」ぐらいではだめであります。



 (ちなみにうちの団体は、「さわやかで硬派」と言っていただいております。コップの中の嵐的な話ですね。はい)





神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp