先日、3泊4日という、結婚してからの私としては最長の出張をしたとき、仕事先の方から言われたのが、

「お子さん方だいじょうぶですか」
「心配でしょ」


 その都度、こういう材料を4日分買い置きしたので娘たちがシチュー、肉のグリル、サラダなどを作るはずだとお話しすると驚かれる。


「しっかりしてますねえ〜」


 社交辞令かもしれません。はい。

 ただうちの娘たちは同学年の人の中で家事ができるほうとみなされているようで、中学時代からお弁当は自分たちで作っていたし、友達同士の集まりで率先して立って必要な家事をするので「マザー・ハルカ」と呼ばれていたのだそうだ。


 私自身は全然自慢できるようなしつけをできる人間ではないが、もし何か秘訣があるとしたらそれは「行動理論」ぐらいだ。


 彼女たちがあまりにも何もしないときには雷を落とすような場面もあったが、基本的には小さなことをやれば褒め、作ってくれたものは美味しいと言って食べた。

 (「C」の性格なので本当はちょっと褒めるのにも努力を要するのだ)


 そのうち、野菜切りや焼きそばの最後の炒めといった単純な仕事から、「一から肉野菜を切ってシチューを作る」といった一連の仕事までこなせるようになった。


 こういうのは「小さな行動から始まってより大きな望ましい行動へ」=「形成化」(シェイピング)というものだが、
決してその手法の名前から想像するように、徹底して行動を監視して言葉がけした結果そうなるというわけでもない。ある時期から本人が面白さに目覚めて自分で勝手にやりだすから。

 特に二女は今年料理作りに目覚めたようだ。イブの食卓も、チキン以外のメニューはほぼ彼女が、冷蔵庫にあるものを基に決め、トマトのディップは買ったクラッカーの外箱にレシピが載っていたのを見て作っていた。

 これは「外発」から始まって「内発」になっていった現象といえるかもしれない。

 


 2人とも絵は得意なので(そういうのはかなり生まれつきで、これは「内発的動機づけ」と呼ぶかもしれない)、作った料理は色どりの美しさを褒めることも忘れなかった。


 「内発」の行動であっても外から褒められることはやはり伸ばす役に立つ。

 だから、内発か外発かどっちが大事か、外発のアメとムチは卑しいことかなんて議論することにあまり意味はないのだ、本当に。

 そういうのは、現場を知らない人が言うんだろな、と思うだけだ。


 『報酬主義をこえて』という本の言っていることがどれだけおかしいか、お分かりいただけるだろうか。

 『報酬主義をこえて』という本について私の書評は、こちらの記事をご参照ください



 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51780572.html



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 さて、たのしくないことでも真っ直ぐ見つめるのが私の流儀で、


 『報酬主義をこえて』というおかしな本について起きたここ2−3日の出来事を書いておきたい。


 最後にいいことが起こるので、ちょっとだけ我慢しておつきあいいただきたい。



 例の「変な評論家氏」がメルマガで同書のことを褒めそやしたのが21日。翌22日、私はアマゾンでこの本のページをみると、この同じ評論家氏が長々とレビューを書き5つ星をつけていた。

 これに反論しこの本の誤謬を指摘する書評を私が書いたところ、

 
 何が起こったかというと、私の書いた書評に「参考にならなかった」という投票がみるみる増えていった。


 最終的には、「6人中2人の人が『このレビューが参考になった』と評価しています」という数字になった。

 わざわざ「参考にならなかった」と投票した人が4人もいた、ということである。


 たまりかねて23日の夜、フェイスブックのお友達で学校の先生をしている私から見て非常に真っ当な人に、


「このページをみて、レビューを見比べていただけませんか。少し知識のある人ならすぐわかる話題のはずです」

とお願いした。


 すると、「私からみて正田さんのレビューの方が妥当だと思います。正田さんに投票します」と言っていただいたが、

 その時既に「6人中2人」という数字になっていたので、このお友達を巻き込むのも申し訳ないと思い、自分のレビューを削除した。そしてブログの方に転載した、という次第である。


 問題はそれだけではない。私はアマゾンにレビューを書いた経験はあまり多くないが、わずかに書いた、自分が本当に良心的だと思う2,3の本のレビューについて、たどってみると、


 突然、「このレビューは参考になりませんでした」の票数が各2人ずつ増えているのだ。


 例えば比較的新しい、まだそれまで投票をされていなかったレビューについては「2人中0人」。


 これは、私が本当に良いと思い、5つ星をつけて支持のレビューを書いたものについての「参考にならなかった」という投票なので、本当に腹が立った。


 さらに、過去に1冊、私がレビューでボロクソにけなした本があり、このレビューにはこれまで「3人中3人が『このレビューが参考になった』と評価しています」と、なっていたのだが、このレビューについても急に、「5人中3人が…」と、変わっていた。

 つまり、過去に投票した人の人数に加え、急に2人、「参考にならなかった」に票を投じた人がいるということである。


 こういうことが出来る仕組みになっている。レビューは私はペンネームで書いているが、そのペンネームをクリックすると、同じレビュアーの書いている他のレビューをたどることができ、「投票」をすることができるのである。

 今回の論争を機に、そのような行動をとった「2人」の人がいたらしい。


 繰り返すようだが、私が本当に心から「この本は良心的ないい本だ。後世に残していい本だ」と感じてレビューを書いたものについても「参考にならなかった」と投票したのだから、これは極めて悪質な行為といえる。私の投じた5つ星の信憑性が疑われ、その本の良さを信じてもらうことができなくなるわけだ。反論のレビューを書くだけの知識もないくせに。

 アマゾンの罪ではない、利用した人の問題だ。「変な評論家」にかかわったばかりに。


 なので、過去に自分がアマゾンに書いたレビューを削除した。また別の形でこれらの良書には貢献したい。


(この悪質な嫌がらせは本日(25日)時点も続いていることがわかった。私が良書と感じた本のレビューで、一旦削除し、新たに投稿しなおした記事に、また1人の人間が「参考にならなかった」と投票したのだ。このたぐいのことは「ゲーム」と言い、「承認欲求」が病的に強い人間のやることだ。まあ、要するに今後、アマゾンのレビューというところに関わらなければいいのだ)



 以上が「嫌なこと」だったのだけれど、そのあと「良いこと」が起こった。


 フェイスブックで、このブログに書いた書評の記事のリンクを張り、自分のウォールにこう書きこんだ。

「独創的でありたいという「欲」より、多数の人の幸福に役立つものを提示したいという「欲」のほうが、私のばあいは最終的に勝つ。評価の確立した正しいものの凡庸さに耐えられないという人も中にはいるだろう。
受講生の皆様、行動主義はさておき行動理論―行動療法は正しいものです。私どもでは受講生様にお伝えするコンテンツを1つ1つ丁寧に吟味しています。誤解の余地のないよう丁寧にお伝えしてまいりますので、どうぞこれからも安心してご使用ください。

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51780572.html


 この書きこみに、フェイスブック流の「いいね!」を、みるみる19人もの方々からいただいたのだ。


 お1人お1人にお礼を述べたことは言うまでもない。



 私は神戸に住む一介の女性NPO代表。

「ただの主婦じゃん」

 と思う人もいるだろうし、実際面と向かってそう言われたこともある。


 この程度の人間に、「過去に書いたレビューを全部たどって嫌がらせをする」などという「大物扱い」をしてくださってありがとう。


 私は地元兵庫・神戸の人たちに誇りに思ってもらえるような生き方をしたい。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp