正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

タグ:ASD

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 物議をかもしそうなタイトルをあえてつけてしまいましたが、このブログの長い読者の方からみるとむしろ「自然」な結論ではないかと思います。

 わたしもきのうの記事(月刊人事マネジメント連載 部下の凸凹を包んで戦力化する)を入力していて気がつきました。別に悪意でもなんでもありません、「ASD」「発達障害」という言葉も別に差別語ではないですし。

 昨日の記事の中から、「ASD(自閉症スペクトラム障害)」について書いたところを抜き出しますね。

 またASDは、全人口の1〜2%(最新の報告では4%)を占めるとされ、「こだわりが強い、固定観念が強い」「他人の気持ちに想像力が働かない」「変化、変更が苦手」「ごく狭い範囲の仕事にしか関心がない」などがあります。


 中室氏を昨年一気にスターダムに上らせた著書、『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中の記述の1つ1つ、またロジックの1つ1つに、「これだけIQが高くてかつ定型発達の人だったらまずやらない」と思われるような、間違いや雑な(荒っぽい)記述があります。


1.1月1日の記事に取り上げたように、「ほめ育てはしてはいけない」と本の冒頭で言いきっているが、中身をみると論理が破綻している。結論ありきで、データは単に並べてみただけ。こういうのは「エビデンス詐欺」とでも言うレベルで、学者として信頼するに値しません。

2.「老婆の個人的体験」という言葉を統計学の西内正啓氏の引用ではあるが、何の疑いもなく言ってしまっている。「脳科学おばあちゃん」の久保田カヨ子氏のことだと思いますが。「老婆」って普通言わないでしょう、中室氏は40歳でかなり美形の方であるのは認めますが。

3.本当は、エビデンスの中にも「エピソード(のシリーズ)」は含まれるので、現場の個別の情報をないがしろにしていいわけではないのです。(Wikiの「根拠のある医療」の項参照)中室氏はそうしたことは一切言わないし、「老婆」「お母さん/母親」などという言葉で貶めるので、エピソードを語ることは恥ずかしいことだ、という思い込みを読者に作らせていなかったろうか。
(注:「一切言わない」は言い過ぎでした。この本の「補論」のところに、Wikiにもあるようなエビデンスの階層表を載せ、その中に「症例報告」というのも入っています。ただ、多分この人自身、「症例報告」の意味が分かってなかったのではないでしょうか)

このほかにも、

4.親を読者対象にした第2章は全体に記述が雑。1.にみるような、エビデンスと結論のフレーズのつながりが悪い例がほかにもみられ、「親をばかにしているのだろうか、この人は」と思う。逆に他の専門家、政策担当者を読者として想定した章はみたところ慎重かつ丁寧な筆運び。専門家筋からこの本が評価が高いのも頷ける。そうした、人としては不愉快な二面性も、権威にすがることが大好きな一部のASDの人の特徴を想起させる。


5.Amazonレビューのコメント欄に中室氏自身とみられる「カスタマー」名のコメントが頻繁に出てくるのだが、3.と同様、「目の前の子供さんなど現場の個別情報」を軽視し、「統計が出した結論通りに対処するのが正しい」とむきになって言い張っていた。上記のWikiのページにも、「エビデンスがいくらあっても目の前の個々の患者をみなければならない」ということは明記されているのだが。こういう人は学問をする資格も政策提言をする資格もないのではないだろうか。

・・・

 いかがでしょうか。
 このブログの長い読者の方はご存知と思いますが、わたしはもともと女性のことは応援したい方です。せっかく頭角を表した女性学者さんを貶めたいなどは、本来つゆほども思わない人間です。

 しかし、この中室氏の言動はいただけない。
 「ほめる否定」ひとつをとっても、それが現場と子供さん方をどれだけ不幸にするか、想像力が働いていない。

 で、わずかこれらの証拠だけをとっても、この人がASDである可能性は高いだろうと思います。コダワリが強く、固定観念が強いので、「エビデンス=統計データ、≠エピソード」というような記述をしてしまう。また自分が「ほめる」を嫌いなので、それを正当化するためにめちゃくちゃな論理構成をしてしまう。他人の気持ちが想像できない(ただデマゴーグ的な才能は割とあるようだ)。現場情報を軽視するのは、興味の範囲が狭いから。

 統計というのは、その専門の方に失礼な言い方をしてしまいますが、「数字遊び」のようなところがあります。数字が好きな方だったら、飽きずに何時間でも何日でもその世界に浸っていられる。で、ASDの傾向のある人に数学的才能のある人も多いですから、そこにのめり込むことも自然です。
 ただし、統計は価値のあるものですが、あくまで手段でしかないのです。目的ではないのです。目的は、目の前の状況に最適解を出していくことです。


 ASDだということがわるいわけではありません。ASDを含む発達障害の人が普通に就労機会が与えられるように、ということをわたしも願って、このブログで一貫して記事を書いてきました。
 しかしそれとは別に、思考能力の一部に重大な欠損をもったASDの人が、沢山の人の幸せに関わるようなポストにつくことは正しいか?という問題はあります。
 企業なら、マネジャーに昇格させることは正しいか?また中室氏のように、「政策提言」それも教育という、沢山の子供さんの幸せに関わる政策提言をする立場になることは正しいか?

―他社さんの宣伝をするようで恐縮ですが、「インバスケット研修」をすると、上記のような「思考の一部情報への固着傾向、i.e.くっつきやすくはがれにくい傾向」のある人はある程度スクリーニングできます。ただしインバスケット傾向も、「決断過多」のリーダーをつくってしまう危険性はあります。また人によっては、インバスケット研修について膨大な予習をして、高得点をとることができるようです。

彼女がもし社会に対して誠実でありたいなら、診断を受け結果を公表し、

「私はこういう障害を持っていてそのために大事なことをよく見落とすことがある。現実の子供や子育てには興味は全くない」

と、きちっと公表したほうがいいと思います。子育て経験がないことを、「エビデンスのほうが大事だから子育てする必要はない」って正当化しちゃいけません。ASDの知能の高い方は、よくむきになって自己正当化をやりますね。

また、「承認」の講師として実感を込めていいますが、ASDの人は一般に「承認/ほめる」を苦手とします。気の毒なことですが感覚過敏なので、通常よりはるかに大量の「不快感情」を持って生きているからです。
中室氏は、「私自身人をほめることが苦手です。ですからこの件について語れる資格はありません」と、正直に認めたほうがよいのです。そういう謙虚な姿勢があれば、障害を持った学者として認知されても、信頼されて仕事していくことができるでしょう。


 彼女の出世作である本をぱっと読んだだけでも(多くの人は気づかなかったようだが)上記のような見落とし、間違いがあったわけです。
 専門家・政策担当者向けの章については、わたしは正直、ささっとしか読んでいないのですが、ここにも親向けのパートのように、恣意的なエビデンスの選択、並べ方、無理のある結論の出し方、が隠れている危険性はあります。書き方みこそ比較的丁寧でしたが。だからわたしはあんまりまじめには読めませんでした。鵜呑みにするととんでもないことが起こるな、という感じでした。
 そういうのは是非、ほかの教育経済学者さんが出てきてじっくり検証していただきたいと思います。この人以外の教育経済学者さんのご意見が是非ききたいです。

 ひょっとしたら、中室氏は「教育経済学界のオボカタ嬢」のような存在なのではないですかねえ…。


正田佐与

 
シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 ―シリーズ『「学力」の経済学』批判 

http://c-c-a.blog.jp/archives/51932847.html" target="_blank" title="">「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判
「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

 広野ゆい氏(NPO法人発達障害をもつ大人の会代表)インタビュー第2弾の3回目です。

 ここでは、日常出くわす、どこかに分類しきれない発達障害者らしい人たちとマネジメントのルールの世界の「困った!」について、広野さんにお伺いしました。
 広野さんとしても当事者の会の運営の中でこうした現象に出会うことは珍しくないようで、ひじょうに率直に答えていただきました。


広野ゆい氏にきく(2)発達障害者マネジメントの「困った!」問答


1.「一律」になじまない現実と付き合う
■メンタルヘルス問題に「発達障害」の視点がない
■「軍隊式マネジメント」はなぜ存在するか
■5Sに「発達障害」の視点を入れると
■全体の質低下を防ぐには
■「発達障害」と昇進昇格と嫉妬


2.「弱みの自覚」のむずかしさと大切さ

■自己診断にチェックリストは有効か
■若い人の成長過程のむずかしさと自己認知
■適性のない仕事についていたら?
■「強みを活かす」の限界 弱みの自覚の大切さ
■感情表現(Iメッセージ)の壁を訓練で乗り越える


3.発達障害者マネジメントの「困った!」問答

■管理職研修と発達障害
■ASDの人の固定観念と性バイアス
■ADHDは薬で改善されるか
■告知はどんな言い方が有効?
■ADHDの人が自己判断で仕事をしたら

ききて:正田佐与




広野ゆい氏にきく(2)発達障害者マネジメントの「困った!」問答

3.発達障害者マネジメントの「困った!」問答


■管理職研修と発達障害


正田:今、承認マネジメント協会では管理職に対する「承認」を中心とした研修をご提供する中で、「発達障害」という言葉をはっきり使って部下の特性を知ったうえでマネジメントする、ということを言っています。あくまで管理職まではそういう視点をもっておいていただきたい、ご本人に告知するかどうかは別として、ということですけれど。

広野:是非!やっていただきたいです。この言葉が普通にならないといけない。

正田:そうですよね。一昨年の聞き取りで、私の実感値としては働く人の1割前後が発達障害かそれに近い、仕事上の指示出しに配慮の要る人、という感触を持っています。だからどの職場にも1人はいると考えていいだろうと。ただあるビジネスパーソンの友人は「そんなものじゃない、4−5人に1人はいる」と言います。

広野:私の基準では、最低限6割の人を発達障害にしたいです。6割になると、マジョリティの側じゃないですか。障害ではない可能性が出てくるでしょう。
「凸凹が大きいよね」「小さいよね」
「まあみんなそういうものだよね」
 みんながそうだということを気づいてない。お互いの凸凹を受け入れて認め合ってやっていく。

正田:完璧な人なんていないですよね。自分でどこまでそれを認めるか、ですね。

広野:やっぱり自分で認めないと。「私はこういう人で」と言えないと。自分で受け入れて、「実はこうなんです」と言えることによって周りもそれを助けてくれる。自分で自分を認めるってすごく大事です。
 「対人コミュニケーション」も大事ですが「対自コミュニケーション」ですよね。そこができてやっと「対人コミュニケーション」だろうなと思います。


■ASDの人の固定観念と性バイアス

正田:お時間もだいぶ迫ってきましたが。ASDの人たちの固定観念の問題についてはいかがですか。私はどうも、この人たちがかなり強固な既成観念というか固定観念をお持ちで、とりわけ「女性」に関してそれが出やすいように感じるんですけれど。

広野:地位の高い女性への違和感。これはありますね。

正田:あ、そうですか。やっぱり。

広野:「こうでなければならない」という気持ちが、「女の人は家を守る、男の人が働く」という固定観念はありますね。それが差別である、という認識がないんです。やっぱりそれはありますね。
 それは、私はつくられたものだと思うんです。というのは昔の人は家にお母さんがいた、家で仕事をしていた。家で畑の仕事をして、着物も作って、働いていたんです。専業主婦で家のことしかしていない、というのは多分、高度成長のときからでしょう。

正田:起源をたどると明治大正のころからサラリーマンができて、職住分離になって、専業主婦ができて。ただ日本は高度成長の時代にそれを続けてしまったんですね。ほかの先進国がそれをやめた時期に。


■ADHDは薬で改善されるか

正田:ADHD治療薬のコンサータやストラテラは、ADHDの症状が良くなるんですか。

広野:そうですね、私は両方のみました。コンサータをのむことによって、自分の苦手なことに対して何とか集中してこなすことができます。ストラテラは、すごく効くという感じではないんですがパフォーマンスを底上げしてくれます。疲れてしまって途中からミスが続出するということがあるときに少しそれがましになる。ADHDのある人にはある程度有効かなと思います。ただ薬で頑張りすぎようとすることになると、それは正しくない。

正田:そうなんですか。

広野:際限なく頑張ってしまうために薬をのむのであれば、それは正しい使い方ではないんです。本当に困っているときに使うならいいですけれど。
例えば私だったら、1人では困ってしまうような難しいことがあってそれでもやらなければいけないときに、ちょっと薬の力を借ります。そうじゃなければ人に頼めれば頼みます。これらをのんでずっとずっと頑張り続けるということになると、それは本来のこの薬の使い方とは違うと思います。
 ただすっごい多動な方は、これをのむことによって落ち着きやすいんです。苦労しても落ち着かない人に落ち着いてもらうためにのんでもらう。普通の人はこれをのむと違う効き方をするらしいです。多動なADHDの方はこれをのむことによって落ち着く。

正田:例えばミスが多い方などは、こういう薬をのむとどうなるんですか。

広野:ミスの原因が何かによりますね。どんなことでミスをしてしまうのか。例えばLDみたいなものが関わっているようなミスであれば、あんまりこの薬で改善することがないんですけれども、例えば先ほどのあっちこっちに物を置き忘れてそれを本人も忘れちゃうというようなことであれば、もしかしたらこの薬で効くかもしれない。

正田:そうなんですか。それは朗報だと思います。

広野:ただ、劇的には効かないんです。少しましにはなります。じゃあ普通の人みたいに出来るようになるかというと、そこまでは難しい。許容範囲にはなるかもしれない。
 また、二次障害で鬱がある場合には鬱の治療も合わせてしないといけないです。


■告知はどんな言い方が有効?


正田:また別のご質問で、ミスの多い方に対して上司は
「障害なのでは?」
とご本人に言えずに困っている。言うと気分を害するのではないか、と。

広野:自分でミスしたくないのにどうしてもミスしてしまうようだったら、「そういうのに効く薬があるらしいよ」と言ってみたらどうですか。

正田:薬をのむということは、その前提として診断を受けなければいけないですね。

広野:そうですね、そこはあえて言わない。
 本人さんがそれを問題だと思っていて何とかしたいと思っていたときに、「あ、そういうことだったら病院に行こうかな」となるかもしれない。
 ADHDは子供の頃からずっとなので、そういうことがある人はもっと前から困ったり悩んだりしてるはずなんですよ。それを何とか解決する方法があるということは本人にとってプラスになります。
 こちらの資料に「障害を告知されてどんな気持ちになったか」というグラフがありますが、ADHDの人の場合は「ほっとした」が6割ぐらいいます。

正田:そうなんですか。これは興味ぶかい資料ですね。
 しかし、病院に診断を受けに行くというのは既にそこに心が開かれているという状態なのではないですか。
「この人には言っても無理」と周囲に思われている人はこの中に入っていないのでは。

広野:ええ。でもそれは言ってみないと分からないですよ。言ったら必ずその人は絶望的になるのかどうか。
 絶望的になったり困惑する人というのは、ASDの人に多いです。ADHDの人は基本、喜びます(笑) だって、「努力不足だ」とか「なんでお前だけできないんだ、みんなできているのに」と散々言われて傷ついてきているのに。
「それはあなたのせいじゃないんです、努力不足だとか怠け者だからできないんじゃないんです」
と言われたら、
「あ、そうなんだ!」
と普通、ほっとすると思います。
 だからADHDの人だとほっとする。ASDの人は絶望するかもしれない。中には喜ぶ人もいます、免罪符をもらったような感じで。「アスペルガーだからこれが出来ません、あれが出来ません」と言い始める。「なぜならこの本に書いてありますから」逆に迷惑だったりするんですけれど(笑)
 うちの当事者の会にも会社の人に言われて「え〜、何それ」と思って来た、という人が結構いるんですよ。来たら来たでわ〜っと盛り上がってほっとして帰って行きますよね。
 そういう人は「こういうところがあるから行ってみたら」というぐらいの感じで言ってあげたらいいと思います。診断をもらってない人も結構来ています。それで当事者の人たちと話して薬をのむことが有効だと思えば病院に行けばいいし、「診断なんか受けたら一生発達障害になってしまう」と思えば行かなければいいし。
 告知する時の言い方のコツとしては、
「○×ができないから発達障害じゃないか」
という言い方を避けることですね。
「自分の知り合いにADHDの人がいるけれど似ているよね」
「言ってることとかやってることとか、結構似ている気がする」と。
 あるいは、同じ職場にADHDの人がいて、
「自分は発達障害だけど、君もそうじゃないか?」
と言われた、とか。よりソフトな感じで遠まわしに言うとしたらそういう感じですね。

正田:実際に言われて納得して自覚につながった人たちの体験からくるものですから、貴重ですね。

広野:そのほか上司から「ミスが多すぎる。このままだと居続けるのが難しいから、対処方法を考えるから医者に行って来い」と言われた、というケースも最近は少なくないのですが。
 立場的に利害関係がそんなにない人から言ってもらえるほうがいいかもしれません。

正田:知り合いのASD気味の人は、言われてちょっとショックを受けていた感じでした。自分で「自分も発達障害なんじゃないか」と言っているのも、言葉の裏に「これまで発達障害の人を見下していたけれど、その中に自分も入っちゃうんじゃないか」というのがあるような気がします。

広野:だから、みんな発達障害なんです。気づいてるか気づいてないか、という話で。
 そういう風な意識に変えていきたいですね。それを言われたからショックを受けるということ自体が残念です。
凸凹があったからといってマイナスではないと思います。
ただ「知らない」ことはマイナスです。知らないがゆえに、出来ないのに出来ると思って扱われたりみなされたりすることがものすごくマイナスです。
そういう特性があるということ自体はマイナスではありません。でもそれを知った時点で修正していかないといけないとか、色んな傷をメンテナンスしていかないといけないといけないんですが、それを知らないと始まらないですね。知ってほしいです。

(正田注:とはいいながら職場での「告知」の問題はやはり難しいことのようです。
 ひょうご発達障害支援センター・和田俊宏センター長によると、同センターに会社の上司や産業医に連れられてきた当事者の人はひどく機嫌がわるく、診断を勧めようにも取り着く島もなかったといいます。
「診断を勧める前に『あなたはこの仕事ができていない』ということを伝える段階が大事。そこをしっかりやってほしい」と和田センター長は言われます。また診断を勧める以前に職場でできる工夫をしてほしい、とも。
 逆に本人が希望してセンターに相談に来られたケースではまったく問題なく診断も受けられたそうです。
 職場での告知、成功例もあるとはいいながらまだまだ慎重に行わないといけなさそうです。
 なお今20-25歳の人を境に赤ちゃんの頃からの保健指導のスタンスが変わり、発達障害の有無のスクリーニングをするようになっています。子供の頃に診断を受けたか、否かの境目がその年齢で、それより上の人たちは自覚のないまま大人になった人が多い、すなわち「職場での告知」が問題になりやすい、といえます)


■ADHDの人が自己判断で仕事をしたら

正田:最後、自己判断で変なことをやってしまう人というのは。
 仕事でお出会いする方にそのタイプの方が多くて結構苦労しました。上司部下関係ではないので注意したり叱責したりというのはできないんです。

広野:自分が自己判断でやってしまっているということを認識していないということですよね。
本人さんは自己判断でやってしまっていることを気づいているんでしょうか。

正田:たまにご本人の若い頃の同僚から話を聴けて、若い頃からそういう傾向があった、とわかることがあります。
それがコーチングの研修を受けた経験者も多くて、「自分で判断するのは、いいことだ」と思ってしまってるんです。「君はどうしたい?」というノリで。

広野:ああなるほど…。「それはダメだよ」と誰かに言ってもらわないと。

正田:多分上司の方が言いにくい雰囲気もあると思います。

広野:この冊子(「発達凸凹活用マニュアル2」発達凸凹サポート共同事業体発行)の26ページ、「報連相の1」は自己判断の失敗なんです。これの原因は、(ADHDの人の)興味の偏りですね。自分で「これは報告したい、これは報告しない」と決めてしまっている。
 あとは、「自分のやり方で仕事をしたい」気持ちが強い。人に教えを乞うとそれが変わっちゃったりするので、イヤなんです。
 自分の裁量でやってもいいかどうかの判断がまずできない。仕事というのは基本、自分の裁量、判断でやってはいけないことがほとんどですよね。

正田:なるほど、基本はそうですね。
 「任せる」「権限移譲」ということも一方で大事ですけれども、それはある程度経験を積んで判断力があると評価された人、という前提だと思うんです。
 その関連で何度も痛い思いをしまして、例えばわたしが「このやり方でやってください」と指定したことを、間に入った人が書いてあるのを無視して「そうでないやり方でやっていいです」と言ってしまう。その指定したやり方でないとまずいことが起きる、とわかっていたわけですが、見事にそのまずいことが起きました。

広野:それはADHDの入っている人かもしれませんね。その場合は、「こういう風にしてください」と言われたことを、「あ、めんどくさいな」「適当でいいや」と思ったらそうしてしまう。自分にとって興味のないことはスルーしてもいいと思ってるんです。
 そこは相当言わないとダメですね。怒るぐらいでいいんです。「これをちゃんとやってくれないと何の意味もないんだ!こんなにお金かけてやってるのに、何なんですか!」と。

正田:そこまではいかないけれど割ときっぱり言いました。するとその人は「正田さんが怒った、怖い」と周りじゅうにメールを書きまくったんです。

広野:それでいいと思います。私は当事者サロンで人の領域に踏み込むことをしたりとか、ちょっとナンパ的なことをしたりした人にはきつく言うんです。すると向こうは「ゆいさんが怖い」と周りに触れ回るんですけれど、私はそれでいいと思っているんです。「いけないことは、いけない」ときっぱり言わないといけない。でないとそれでいいと思われてしまいますから。
 
正田:ハードな体験をされますねえ(笑)

広野:言われたその人はショックを受けたから悪口を触れ回るようなことをしていると思うんですけど、やっぱり「してはいけないことは、いけない」とラインを守らないといけないですから。でないとADHDの人は適当でいいと思っちゃうんです、興味がないことに関しては。

正田:今のお話は、会社組織でもだれが言っていることが正しいのか、だれが間違ったことをしたのか、見極めることが非常にむずかしく、そして大事なところですねえ。
発達障害の人が入っている職場で、「何が正しいのか分からなくなった、オレが間違ったことを言ってるんだろうか」と頭を抱えているマネジャーもよく見るんです。仕事としての本筋が分からなくなっちゃう。それは何が起きているか正確にみる目を持たないといけないですね。
今日は大変勉強になりました。広野さん、お忙しい中、ありがとうございました。このあとの講演がんばってくださいね。



あとがき:

 いつものことながら、1つ1つかみしめるように丁寧に答えてくださった広野さんでした。
 急速な人口減少の中、発達障害を含む障害のある人も戦力化していかなければならない要請があります。
 ただ実際にやっていくには細かい人間理解が要り、またそれと網の目のような職場のルールとを継ぎ合せる作業が必要そうです。
 その作業の全貌は2回のインタビューを経てもまだ「見えた」とは言えませんが、読者のかたが今抱えておられる難題にすこしでもヒントになれば幸いです。
なお何度も書きますように「承認」習得後の管理職の方にとっては、こうした多様な人間理解に基づくマネジメントの作業というのは段違いに「らく」になります。
 最後に広野さん、インタビュー起こしが遅くなり申し訳ありませんでした!
 こころよく修正に応じてくださり、ありがとうございました。
 



広野ゆい氏にきく(2)発達障害者マネジメントの「困った!」問答


1.「一律」になじまない現実と付き合う
■メンタルヘルス問題に「発達障害」の視点がない
■「軍隊式マネジメント」はなぜ存在するか
■5Sに「発達障害」の視点を入れると
■全体の質低下を防ぐには
■「発達障害」と昇進昇格と嫉妬


2.「弱みの自覚」のむずかしさと大切さ

■自己診断にチェックリストは有効か
■若い人の成長過程のむずかしさと自己認知
■適性のない仕事についていたら?
■「強みを活かす」の限界 弱みの自覚の大切さ
■感情表現(Iメッセージ)の壁を訓練で乗り越える


3.発達障害者マネジメントの「困った!」問答

■管理職研修と発達障害
■ASDの人の固定観念と性バイアス
■ADHDは薬で改善されるか
■告知はどんな言い方が有効?
■ADHDの人が自己判断で仕事をしたら




100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
http://abma.or.jp

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